自分流ワーク・ライフ・バランスの取り方
この記事は「弁理士の日記念ブログ企画2013」の一環として書かれたものである。
私は2006年3月に現在の特許事務所に転職し、それと同時に弁理士受験勉強を始めた。2007年と2008年と短答試験に不合格し、2009年に弁理士試験に最終合格し、2010年春に弁理士登録した。この間平日は平均すると19時に退所後2〜3時間勉強し、土曜日は子供達が習い事に行く10〜12時だけ勉強し、日曜日は家族の許可を得て昼食後〜夕食前まで勉強した。
受験勉強が終わったとき、「これで平日の通勤電車内で参考書や資料集を見なくてよいし、週末は完全に好きなことに使える」と思った。そのときふと思った。「週末は完全に好きなことに使えるといっても、土曜日で2時間程度、日曜日で4時間程度だ。ダラダラ過ごすのはもったいない」と。
そんなわけで、自分の「ライフ」は、短い時間で如何に充実した時間を過ごすのかを考えた(注1)。
育児に関しては、単に金銭的援助や承認を与えるだけではなく、実際に汗をかくことを原則とした。これで十分な時間接することができない代わりに質的な充実を図ることにしている。具体的には以下のことを実践している。
次女に関しては、英会話教室(実態は子供達に英語を教えたい父母達の英会話サークル)のアシスタントを引き受けた。実際に教室で次女(注2)と接し、彼女の理解に基づいて毎日の宿題を考え、週末は一緒に宿題をやってみる。たかが習い事の1つに過ぎないが、子供の成長を実感できるし、なかなか習得できなかったことを習得したときの次女の顔を見るのは本当に嬉しい。
長女に関しては、月1回のサイエンス教室に付き添い、彼女が疑問に思ったことに答え、さらに理解や関心を深められるように本を与えたり、問題を出したりしている。子供の好奇心は本当に強く、直感的にはかなり鋭い思考をすることがわかった。彼女もどんどん好奇心の幅を広げて色々私に聞いてきたり、自分で学習したことを話してくれるようになった。
あと家庭だけではなく他のこともしたいと思い、地域の活動に参加することにした。具体的には、子供達の小学校のソフトボールチームに入った。これは地域の小中学校のPTA対抗の球技大会のチームだが、それ以外にも夕涼み会を主催したり、学校行事に協力したり、子供達が卒業したOBの人たちとチームを組んで市民大会に出場している。
私の「ワーク・ライフ・バランス」はこんな感じである。これで「ワーク・ライフ・バランス」が完全に満足されているとは思えないが、今後も家族(特に子供達)の反応や、何よりも自分自身の充実度を考えながら、よりよい「ワーク・ライフ・バランス」を実現しようと思う。皆さん(特に家族持ちの弁理士受験生の皆さんに)の参考になれば幸いである。
最後に上記の体験を書いた後「ワーク・ライフ・バランス」のライフって何だろう? と考える。仕事(ワーク)以外のすべてだと思うが、多くの人たちは、プライベート(遊びだったり家族と一緒に過ごす時間)と解釈しているような気がする(今回の特別企画の企画者の意図もそういうところにあるように思える)。
ただ仕事以外の時間はすべてプライベートなのだろうか? 私は、国家、社会、地域等の公共的(public)な活動に参加することもライフの一つだと考えている。子供の教育は学校にすべて任せれば良いのだろうか? 地域で子供に関わるという視点が必要なのではないか? 待機児童の問題はすべて行政に押し付けてよいのだろうか? その背景には「子育ては母親が中心となってすべき」とか男性中心の職場環境を前提に成り立っている社会のありかたがあるのでは? あるいは電力を供給する能力のある事業者は増えているのに、なぜ未だに地域独占の電力会社から「原発再稼働できないから値上げする」などと足下を見られながら買わなければならないのか? たとえば世田谷区のような取り組み(こちらやこちらをご参照のこと)を地域で支援すれば状況はよくなるのではないだろうか?
仕事が忙しく、その忙しい中何とか家族との時間を作ったり、日頃のストレス解消といわんばかりに遊ぶ。そうやって日常に埋没しながら、世の中がどんどん望ましくない方向に進んでも何もできずにいるもどかしい状況が進行する。多くの人がおかしいと思いながらも何もできずにいる。こういう状況をおかしいと思うことが重要なのではないかと思う。
「ワーク・ライフ・バランス」が上記のような視点を含んだ上での問題提起でなければ、最終的にはどのように効率的に仕事を進めるのかというある意味技術的な問題に還元され、あまり実りあるものにはならないだろうと述べて本稿を締めくくりたいと思う。
(注1)こう考えることが出来たのは、2009年に「(時間的に)短答から最終合格は無理だ」と言われたにも関わらず合格できた体験に基づいている。時間は皆平等だが、その平等な時間内に如何に効率よく勉強するかが重要だと確信できたからだ。
(注2)長女も同じ英会話教室に通っているが、彼女のクラスは別な方がアシスタントをしている。そして彼女は独力で宿題に取り組めるのに十分な英語力を身につけてしまった(積極的に関わる機会を逃してしまった!)。
私は2006年3月に現在の特許事務所に転職し、それと同時に弁理士受験勉強を始めた。2007年と2008年と短答試験に不合格し、2009年に弁理士試験に最終合格し、2010年春に弁理士登録した。この間平日は平均すると19時に退所後2〜3時間勉強し、土曜日は子供達が習い事に行く10〜12時だけ勉強し、日曜日は家族の許可を得て昼食後〜夕食前まで勉強した。
受験勉強が終わったとき、「これで平日の通勤電車内で参考書や資料集を見なくてよいし、週末は完全に好きなことに使える」と思った。そのときふと思った。「週末は完全に好きなことに使えるといっても、土曜日で2時間程度、日曜日で4時間程度だ。ダラダラ過ごすのはもったいない」と。
そんなわけで、自分の「ライフ」は、短い時間で如何に充実した時間を過ごすのかを考えた(注1)。
育児に関しては、単に金銭的援助や承認を与えるだけではなく、実際に汗をかくことを原則とした。これで十分な時間接することができない代わりに質的な充実を図ることにしている。具体的には以下のことを実践している。
次女に関しては、英会話教室(実態は子供達に英語を教えたい父母達の英会話サークル)のアシスタントを引き受けた。実際に教室で次女(注2)と接し、彼女の理解に基づいて毎日の宿題を考え、週末は一緒に宿題をやってみる。たかが習い事の1つに過ぎないが、子供の成長を実感できるし、なかなか習得できなかったことを習得したときの次女の顔を見るのは本当に嬉しい。
長女に関しては、月1回のサイエンス教室に付き添い、彼女が疑問に思ったことに答え、さらに理解や関心を深められるように本を与えたり、問題を出したりしている。子供の好奇心は本当に強く、直感的にはかなり鋭い思考をすることがわかった。彼女もどんどん好奇心の幅を広げて色々私に聞いてきたり、自分で学習したことを話してくれるようになった。
あと家庭だけではなく他のこともしたいと思い、地域の活動に参加することにした。具体的には、子供達の小学校のソフトボールチームに入った。これは地域の小中学校のPTA対抗の球技大会のチームだが、それ以外にも夕涼み会を主催したり、学校行事に協力したり、子供達が卒業したOBの人たちとチームを組んで市民大会に出場している。
私の「ワーク・ライフ・バランス」はこんな感じである。これで「ワーク・ライフ・バランス」が完全に満足されているとは思えないが、今後も家族(特に子供達)の反応や、何よりも自分自身の充実度を考えながら、よりよい「ワーク・ライフ・バランス」を実現しようと思う。皆さん(特に家族持ちの弁理士受験生の皆さんに)の参考になれば幸いである。
最後に上記の体験を書いた後「ワーク・ライフ・バランス」のライフって何だろう? と考える。仕事(ワーク)以外のすべてだと思うが、多くの人たちは、プライベート(遊びだったり家族と一緒に過ごす時間)と解釈しているような気がする(今回の特別企画の企画者の意図もそういうところにあるように思える)。
ただ仕事以外の時間はすべてプライベートなのだろうか? 私は、国家、社会、地域等の公共的(public)な活動に参加することもライフの一つだと考えている。子供の教育は学校にすべて任せれば良いのだろうか? 地域で子供に関わるという視点が必要なのではないか? 待機児童の問題はすべて行政に押し付けてよいのだろうか? その背景には「子育ては母親が中心となってすべき」とか男性中心の職場環境を前提に成り立っている社会のありかたがあるのでは? あるいは電力を供給する能力のある事業者は増えているのに、なぜ未だに地域独占の電力会社から「原発再稼働できないから値上げする」などと足下を見られながら買わなければならないのか? たとえば世田谷区のような取り組み(こちらやこちらをご参照のこと)を地域で支援すれば状況はよくなるのではないだろうか?
仕事が忙しく、その忙しい中何とか家族との時間を作ったり、日頃のストレス解消といわんばかりに遊ぶ。そうやって日常に埋没しながら、世の中がどんどん望ましくない方向に進んでも何もできずにいるもどかしい状況が進行する。多くの人がおかしいと思いながらも何もできずにいる。こういう状況をおかしいと思うことが重要なのではないかと思う。
「ワーク・ライフ・バランス」が上記のような視点を含んだ上での問題提起でなければ、最終的にはどのように効率的に仕事を進めるのかというある意味技術的な問題に還元され、あまり実りあるものにはならないだろうと述べて本稿を締めくくりたいと思う。
(注1)こう考えることが出来たのは、2009年に「(時間的に)短答から最終合格は無理だ」と言われたにも関わらず合格できた体験に基づいている。時間は皆平等だが、その平等な時間内に如何に効率よく勉強するかが重要だと確信できたからだ。
(注2)長女も同じ英会話教室に通っているが、彼女のクラスは別な方がアシスタントをしている。そして彼女は独力で宿題に取り組めるのに十分な英語力を身につけてしまった(積極的に関わる機会を逃してしまった!)。
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